尾飛さんとの出会いは、2011年東日本大震災の年でした。筆者が東北の支援活度を行う中で、一つの曲「名もない絆」と出会います。
東北のみなさんを思い、作詞家shuさんと共につづられた楽曲を聞いたとき、普通の楽曲とは違うと思いました。直接的すぎるほどの表現だった歌詞は誰のためのものなのかと、感じたほどです。その問いかけに、「時間を越えて、全てを乗り越えた時に口ずさめる歌なんです。」と応えられました。私には、「それでも、今は。」と思った記憶があります。
そんな私の心配をよそに、人々の被災された方々を思う気持ちが、共感と新たなつながりを生みつつづけ、ついには、世界6か国語に翻訳され、瞬く間に、世界中に広がり、声が集まり、「名もない絆」どんどん進化していきました。
それから、尾飛さんとの交流が始まりました。災害支援と音楽が中心で、いつも「こんな思いで楽曲を作りたいんです。」と相談すると、「わかりました。」と一つ返事で答えてくれました。お金の話は一切しない。思いに共感してくれる人なんだと感じていました。
それから、何度、協力してもらったことか。
そして、そののち、尾飛さんが音楽の世界に飛び込まれた理由を聞いて、感動・感銘を受けました。
それは、ご自身の過去のつらい体験から、音楽で人を励まし、勇気づける。心を支えること。それが、尾飛さんが、音楽をやっている理由なんだと。
うまく歌えない人を歌えるようにするのではなく、歌が楽しめることで、人生を楽しんでほしい、歌は人を感動させるものだけでなく、人の想いをつなぎ、人をつなぐ力をもっていること、それを感じてほしい。人生を少しでも明るく、前向きに過ごせるものとして、一曲、一曲、命を懸けて生み出されています。
技術の進歩により、楽曲は作りやすい時代になっています。でも、技術ではなく、そこに込められた作詞家や作曲家の想いは、その人の生き方そのものだと思います。
尾飛さんは、おっしゃいます。
楽曲は、商品ではないのだと。作り手、歌い手、奏でる人の魂そのものであると。
そんな想いを何よりも大事にしている尾飛良幸さん。
今日も、尾飛さんは、音楽をとうして、尾飛さんを必要としている人の為に、世界に一つだけの音楽を生み出しておられることでしょう。
復興支援ソング「名もない絆」について
http://namonaikizuna.net/wp-content/themes/aware/document/kizuna_booklet.pdf