「防災を、かろやかに。」

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──レボリストLabが生まれるまで

「防災を、かろやかに。」

この、たったひと言からすべては始まった。
重く、難しく、どこか“やらされるもの”として語られがちな防災を、
もっと人の暮らしに近い場所へ引き戻せないだろうか。
そんな問いが、レボリストLab(ラボ)の原点だ。

日本は、世界でも有数の災害大国である。
地震、津波、台風、豪雨。
とりわけ東日本大震災は、社会の仕組みや「助け合い」の在り方そのものを、私たちに突きつけた。

食べるものがない。
飲む水がない。
着替えも、暖を取る手段もない。

極限の状況のなかで、人はどう生きるのか。
そして、私たちは何ができるのか。


ボランティアの現場で見えた「違和感」

震災直後、SNSをきっかけに立ち上がったひとつの活動があった。
資金も、機材も、肩書きもない。
あったのは、人と人とのつながりと、「何かしたい」という衝動だけだった。

活動を続けるなかで、次第に違和感が芽生えていく。

「ボランティアって、何だろう?」
「仕事って、何だろう?」

無償であること。
善意であること。
専門性があること。

どれも間違ってはいない。
しかし現場には、その枠ではすくいきれない想いが溢れていた。

現地の人たちは、
「助けてほしい」のではなく、
「一緒にやりたい」と言っていたのだ。


やりたいことではなく、寄り添うこと

この活動が一貫して大切にしてきたのは、
「自分たちができることをやる」のではなく、
「現地の人が、現地でやってほしいことに寄り添う」という姿勢だった。

ある地域で聞こえてきたのは、こんな声だった。

「夏に、みんなで集まれるお祭りがしたい」
「花火を、もう一度見たい」

それは、復興計画書には載らない願いだった。
けれど、確かに“生きる力”につながるものだった。

こうして立ち上がった花火プロジェクトは、
多くの困難や誤解、炎上を経験しながらも、
最終的には数多くの著名人の方々や支援者の協力を得て実現する。

夜空に上がった光は、
数字では測れない希望を、静かに照らしていた。


「開かれた場所」が人を変えた

活動の拠点となった仮設住宅は、少し変わっていた。
24時間、誰でも入れる。
鍵も、時間制限もない。

会議のためだけの場所ではなく、
炊き出しをし、雑談をし、
「こんなこと、やってみたい」と言える場所。

そこでは次々と、小さな挑戦が生まれていった。

お祭りをやってみる。
イベントをやってみる。
自分たちで“場”をつくってみる。

「お祭りって、自分たちでできるんだ」

そう気づいた瞬間、
人の表情が変わっていくのが、はっきりと分かった。


ボランティアでも、仕事でもない生き方

活動が広がるにつれ、必ず聞かれる質問があった。

「それは、ボランティアですか?」
「お仕事なんですか?」

答えは、どちらでもない。

そこで生まれたのが、
REVOLIST(レボリスト)という言葉だ。

レボリストとは、
無償奉仕でもなく、
目先の対価を求める仕事でもない。

人の想いと未来のビジョンを共有し、
モノ・カネ・スキルを持ち寄り、
共につくり、共に行動する人。

革命(Revolution)を、
誰かに起こしてもらうのではなく、
自ら起こす人を指す言葉である。


レボリストLabという「実験場」

こうした経験と学びを、
未来につなげるために生まれたのが
**レボリストLab(ラボ)**だ。

Labとは、研究室。
正解を教える場所ではない。

人が集まり、知恵を出し合い、
日本に古くからある「持ち寄り文化」と
現代の技術、マンパワーを掛け合わせる。

楽しみながら過ごす工夫。
助け合いを、特別なことにしない仕組み。

防災を、日常の延長線に置き直す。
それが、レボリストLabの挑戦である。


防災は、未来の生き方になる

この取り組みは、一度きりのイベントでは終わらない。
検証し、実践し、実証しながら、
未来へと発信し続ける永続的な活動として育てていく。

資金も、人も、技術も、
何もないところから始まったからこそ、
「持ち寄ること」の価値が分かる。

レボリストLabでは、
参加者全員が研究員だ。

ひとつのアイデアが、
ひとりの行動が、
未来の防災を変えていく。

防災を、かろやかに。
それは、これからの日本に必要な
新しい生き方の提案なのかもしれない。

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